なんでだろう、この界隈のブログは妙に退廃的だ。
きっと楽しげな内容だとしても、文のリズムがそうなのだ。
その辺、きっと抜け出せていないのかもしれない。


ブログ回帰っていうのもいいかもしれない。
書くことは、ない。

なんとなくブログを読みたい気持ちになったので、ここは裏をかいてブログを認めてみるか。
・・・シタタメルって、認めるって書くんだね。


そうそう、この4月から社会人になりましたよっと。
熊高時代からは考えられないほどの普通の駒の進め方!
浪人もしない、留年もしない、院にもいかない!普通!
もうちょっとこう、波乱万丈的なアレが欲しい気もしますねぇ。


っても書くことねぇなぁ。
朝が辛いとか、休日が待ち遠しいとか、サザエさんが死の宣告に見えるとか
そういったごく普通の社畜でございます。


おもえば、このくだらない文章のログも2007年くらいから記録されてるのだろうか。
大学入ってから極端に更新頻度が落ちたから、どんどん希薄になっていくけれど、
当時の言葉が残っているのは卒業文集を見るような、恥ずかしいような、懐かしいような気がします。


5年前の俺は今から見るとガキのくせして「俺スゲー」みたいなこと思ってて恥ずかしいし、
3年前の俺も今から見るとガキのくせして達観したような事考えてて恥ずかしい。
きっと今の俺も3年後の俺から見たら恥ずかしいのだろう。
これはきっと、「変わっていく」ということなのかもしれない。
でも、昔の自分を恥ずかしがるところは変わっていない。
そういうバランスで、俺と、その周囲が、ゆるやかに成長していけばいいんだと思う。


最近よく高校の頃を思い出す。
結構忘れてることも多いんだろうと思ってがっかりするんだけど、
漠然と楽しかった記憶がある。
同様に大学時代もなんとなく楽しかった気がする。
そういうのって、いいんじゃないかな、よくわかんないけど。

「賢い」がアイデンティティの中学生が、それを証明し、確固たるものにするために偏差値の高い高校を目標にする。そこにはだいたい同じ学力の人がいて、優劣がつく。賢いことが自分の定義だったのにそれを否定される人が出てくる。そこでどう振る舞えるかが人として問われるところだよね。

自分のアイデンティティを賢さに執着するのか、他の個性を自分のアイデンティティとして組み込もうとするのかで人生の楽しみ方が変わると思う。当然後者のほうが愉快に生きられると思う。が、進学校は成績第一みたいな空気を作るから、他のことに踏み出せないで劣等感を募らせてしまいがちだと思う。


補足していく。


これイエスタデイをうたってを思い出して考えたんだけど、賢さ以外にも画一的なアイデンティティにすがるケースはあると思う。
イエスタデイをうたってでは「絵の巧さ」だったけど、例えば俺なら「情報」とかになるのだろう。
それを確かにするために、アイデンティティのゴールにするために劇中では美大を目指し、俺の場合ではIT系の大企業を目指したのかもしれない。
でもその中にはやはりその分野においてデキる人が集まってるわけで、当初の目的にしていた事柄(賢さ、絵の巧さ、情報技術)のみをアイデンティティにデキる人はほんのひとにぎりにすぎない。
じゃあ何をアイデンティティにするかと言ったら、+αを加えていった個別の何か、なんじゃないだろうか。
この+αを形成するには個人の力もさることながら、環境も影響してくると思う。
前述のバリバリ進学校(特に私立かな)の高校生なら+αを形成することを許さない風潮があるんじゃないだろうか。
これは良くない。アイデンティティを形作ることが人の成長だとするなら、成長を妨げているといえる。

じゃあさらに高校生が大学生になったケースならどうだろうか。
賢さ、あるいは絵の巧さをアイデンティティとしていたとしても、大学では必ずしもそれのみを求めない自由がある。
この自由が+αを許すのではないだろうか。

では大学生から社会人になったらどうなんだろう?
大学とは打って変わって成果を求められる分仕事の中に自由は少ないのではないだろうか。
でももう大人だし、環境ではなく自分の力で+αを築いてくことができるはずだ。

そこに今気づけたのは、ちょっとした光明かもしれない。

もう書いちゃお。
内定出てた。4月末に。
4つしか受けてなくて1個しか内定出て無いから必然的にそこに行きます。
院に行ってもまたそこ受かるかわかんないしね。


不祥事とか怖いから社名は出さないことにするお。
聞きたかったら直接聴いてね。照れるけどw
まだ就活してる人とか、これから就活する人はどうか頑張ってください。
天狗にならないよう大人しく生活するですたい。


以上自慢でしたw

ホコリツムリという架空の虫を考えた。ホコリを集めて背中に載せる習性があって、たくさんホコリを集めて大きくなりたがるんだけど、大きくなりすぎて動きが取りづらくなって慌てるの。でもホコリが大きい方がメスにもてて、子供をたくさん残せるという。
で、子供たちは親のホコリを分配してもらってホコリを被って成長していくの。
ホコリを食料とすれば、家の中のホコリを取り尽くしてしまうと勝手に数が少なくなっていく。
遺産相続や人工がコントロールされるシステムなど、妙に他人と思えないあたりが哀愁をそそる益虫。みたいなの


レポート書かなきゃ