ここにきてブログとはなんだろうかと考える。
個人がauthorになれるというのは、95年以来一般的になったことではあるが、
web2.0をもってしてそれが加速している。


不肖私のブログにもどうやら一般検索の結果としてここにたどり着くケースがあるらしい。
正味な話、ここには一般的なことなど書いていないし、すべて私のフィルター越しの「意見」である。
求める情報が「意見」の類ならば、それは有意義な検索結果だったといえるだろう。
しかし、私の経験上意見よりも、模範解答的な客観的事実を求めるケースのほうが圧倒的に多い。
ブログなんかが検索結果の上位にあると、とてもわずらわしく思うものだ。
つまり、私にとって検索結果の中のブログとはノイズのようなものなのだ。


世の中にはググっても期待した結果が出てこないケースがたくさんある。
不便だ。
需要に対して、供給が少ないと思う。
しかし、権威に満ちたどうやら信頼できそうな情報を提供するサイトなんてものは少ない
そんなものは当然。作ったって、見る人に得かもしれないが、作る人には労力がかかるからだ。
自分にとって既知なる事柄を、わざわざ自分以外の人に提供するために苦労するのは妙な話だ。
感謝はされるが、今の時代そんなもので身を削る人は少ない。
wikipediaのような、包括的で組織されたコミュニティが無かったら、webの混沌はひどいことになっていただろう。


これからの時代ブログというノイズだらけだが、発信しやすいメディアの中において、
いかに有益な情報を汲み取れるかがwebを賢く使うという点で重要になってくるだろう。
情報量は格段にオフィシャルなそれより多いのだ。
そして確かに真実も混ざっている。フィルター越しとはいえ、逆に鮮明になっているケースもあるだろう。
これからの検索は、そういった砂金のような情報を見つけ出す技術が求められるのだろう。
はてなスターなんかは、いい線いっているのかもしれない。
開放的で、より非感情的な星がつけばね。


小中学生は6年ROMってろ。
オフラインを恥ずかしくなく生きれるようになってからじゃないと、
オンラインの世界には居場所なんて無いよ。
どうして受け取るだけしかできないやつらを対等に扱わなければならないのか。
差し出す手を出してから受け取ってほしい。
せめて静かにしていてよ。俺も差し出すものなんて無いけれど。


結論
この情報が増えすぎた情報世界で、求める答えを手に入れるのは難しいが、
それをサポートできるシステムを開発できれば、確実に流行る。
人の手で、精度の高い有用な情報を救い上げることが近道かもしれない。
「意見」は「意見」で結構。「事実」とごっちゃにならない世界に住み分けられるのであれば。


そして今日ここに新たなノイズが生まれた。