いつかもこんなことを書いたかもしれないけれど、
今日またとりとめもなく思ってしまったので、かこうかと。


アニメは哲学だ。
大仰なことをいってしまいました。


ベンサムは最大多数の最大幸福という言葉を残しました。
それがだいたい200年くらい前のことでしょうか?
今までのアニメの多くは、
主人公の行動は最大多数の最大幸福につながるものであり、
絶対的な悪を駆逐する彼らは、絶対的な正義でありました。
たとえば、日曜の朝やってるようなヒーローとかみたいにね。


しかし、最近はどうやらそういった勧善懲悪的な
わかりやすい構図は減ってきたように思います。
もちろんなくはないですし、僕はそういうのとても好きです。
その一方で、正義と悪との境界線を引けないものもあるのです。
悪役には彼らの思うところがあって、
それが最大多数の最大幸福につながると信じているのです。
それが多少ゆがんでいるとしても。


つまり彼らは、悪役ではあるが悪ではないのです。
ここに正義という言葉はなく、敵か見方かがある。それだけなのです。
ある意味では、勝てば正義であり、強きものが正義である。
そういう図式になるのです。
シンプルに見えますが、これは非常に複雑です。
るろうに剣心を例に挙げるとすれば、瀬田宗次郎が剣心に負ける時のくだりが妙であろう。
この部分はみんな知ってるよね?


とてもわかりにくい構成になったが、
この話は、絶対的な悪があればどんなにいいか。
ということに帰結していくのです。
明確な悪があり、それを討てば絶対世界はいいほうにいく。
という確信を持てる悪があれば平和になるのです。
例えるのならFFXの世界のことです。
でも実際の世界はそうも行きません。
国家的に悪を決め付けることは、歴史の中に見られますが、
それは絶対悪とはかけ離れた存在でありました。


あれ?おかしいな。
最初は敵にも敵なりの考えがあるね。
そっちの視点からアニメを見るのも面白いね。
結局何が正義なのかわからないあたりがをかしだね。
なんてことを言おうと思ってたのに。
結論が違う方向へ向いてしまった。


もう、いいや。
アニメ見て楽しめればそれはいいことなんじゃないですか?
なんか複雑なこと考えてみたら自己満足に浸れるんじゃないですか?
もうこういうことにしちゃえばいいや。

おわり。